変性意識状態: 平塚雷鳥の禅とキスと催眠術

明治後期から戦後に至るまで、女性解放運動家として活躍した平塚雷鳥。自ら立ちあげた女性のための文芸誌『青鞜』創刊号に書いた文章のタイトル『元始、女性は太陽であった』は、非常に有名です。

彼女は、日露戦争下の大学教育に幻滅して、19歳の頃、以前からの宗教書の精読に加え、禅に没頭するようになります。禅の道場に通い詰め、悟りを開いた者として道場から道号まで貰うに至っています。

『催眠術の日本近代』を読むと、その平塚雷鳥が禅の体験を「神秘に通じる唯一の門」として”精神集注”と呼んでいます。表記が異なりますが、精神集中は催眠施術のテーマとして、非常に一般的です。禅の精神集中状態も催眠状態も、同じ変性意識状態の一種であることが窺われます。ところがさらに彼女は、この精神集注と類似する精神状態として、わざわざ「催眠術による”完全な催眠状態”」と「接吻の”恍惚”」を列挙しています。

催眠術の入門書には、変性意識状態の中には、「悟り」や「忘我」、「(性的)エクスタシー」などの種類があり、それらと並んで催眠状態が含まれていると書かれていることがあります。つまり、これらは事実上同種の精神状態だということです。その事実をいきなり喝破した平塚雷鳥の卓見は驚くべきものです。

しかし、彼女の卓見にはもう一つの注目点が隠れています。それは、彼女が禅の精神状態を催眠状態に喩えたということです。喩えは、分かりにくいものを分かりやすいものに喩えるのが普通です。つまり、催眠術は当時禅よりも世の中に浸透していたと推測されます。今日の催眠術の社会的立場からすると、驚くべきことです。