催眠技術が可能にする不自然なこと (人為的操作論について)

芸能人が刺青を入れていることへのネットの上の議論が先日まで盛り上がっていたようです。刺青は単に入場制限などによる不便以上に、色素に含まれる有害物質が体に長期的な負荷やダメージを与えることもあり、慎重な判断が必要だと思います。ただ、単純な「良い」・「悪い」の判断基準でもなければ、まして「健康に良い」・「健康に悪い」の判断基準でもなく、(成人であれば)本人が総合的な判断をして自分の責任において判断することだと思っています。

遺伝的に決まっていることにはたくさんの要素があります。主要な形質や能力はおおむね7割程度は先天的に決まっていて、後天的に変えられる部分は3割しかないことが分かっています。目が悪ければ眼鏡をかけることに誰も不自然さを感じませんが、先天的な体質や性格上の問題で肥満体になっている人が、美容整形手術を重ねていたら違和感を持つ人は多くいることでしょう。

遺伝で決まっている部分が多い事柄には、催眠の技術も効果が限られることが多いですが、「自然にそうなっていること」や「元々そうなっていること」に対して催眠技術が効果を挙げられる分野はたくさんあります。

たとえば、加齢と共に進む認知症を持つ高齢者の家族の依頼で運動習慣や会話習慣を書き込むこともできます。ADHD的な症状が明らかな中学生に学習習慣をつけることもできます。吉田かずお先生は性同一性障害の方に本人の望むジェンダーを強く肯定する暗示を入れてホルモンバランスを変え、体型さえ変えたことがあると言います。

しかし、こういうような取り組みに対して「不自然で人為的な操作」として議論や検討の余地なく否定的な人々が多く存在します。ジョナサン・ハイト教授の『しあわせ仮説』でもこうした本人の満足と社会的タブーの対立が議論されています。第三者には不自然で非常識にみえることあるのであっても、私は悩みや課題を抱える本人が、一つの選択肢として催眠技術の適用を考えて下さったらよいものと思っています。