無意識は「頼れる本当の自分」なのか?

「自分探し」と呼ばれる、海外の人里離れた場所を漂流するブームが起きたのは1970年代初めと言われています。その後もブームは再燃を重ねていますが、最近、無意識の解明が進むと、別のタイプの「自分探し」が流行しているように思えます。それは「無意識こそが本当の自分」で、「その望むとおりに生きることが幸せ」とする考え方です。

無意識は高い処理能力を持つスーパーコンピュータで、日常においてそのあらゆる処理結果を、文字通り、人間が意識することはほとんどできません。そのプログラムは、形質によってまちまちですが、遺伝的に決められているものが約半分、残りは後天的な学習で決まっています。それが人間の思考や価値観、言動などすべてを司っています。ですから、「無意識こそが本当の自分」であることに間違いはありません。

ただ、その望むとおりに生きることの評価には疑問符がつきます。たとえば『無知の涙』の著者、永山則夫のケースです。19歳で4人の射殺犯である永山則夫は、獄中で勉強に目覚めて本を読み漁り、貧しく、人から愛されもせず、学ぶ機会もなく過ごした人生を振り返ることができるようになりました。そして死刑判決を受け容れるのです。逮捕前までの永山則夫の無意識は望ましい方向に彼を導いていたと考えるのには無理があります。

大嶋信頼の『リミットレス! あなたを縛るリミッターを外す簡単なワーク』は、人生を送る中の判断に困る場面で、無意識の判断結果を導き出す方法を念入りに説明した本です。自己催眠のような手法ながら、基本は非常に簡単で、「心よ」と呼び掛けて、「私は●●すべきですか」と尋ねた際に、頭に浮かんだ答えが無意識の判断結果と説明されています。

驚くのは、不貞を重ねる夫との離婚について「心」に尋ねた女性のケースです。当初夫との話し合いを迫けるよう助言していた「心」が、夫が離婚を切り出してくると、「慰謝料の相場額の五倍を請求しなさい」などと助言し始め、女性はその声に従うのです。本人が最も納得ができる答えなのかもしれませんが、社会的な妥当性はかなり怪しく、単に「心の声に従うべき」とするのは安直すぎるように思えます。

「本当の自分」も結局は「ただの自分」でしかなく、優れた知恵の塊でもなければ崇高な魂でもありません。それは遺伝的要素を踏まえつつ、後天的な良いインプットの積み重ねで、より適切に動作するプログラムを創り上げて行かねばならないものだったのです。