映画『鋼の錬金術師』に見る“無生物催眠”?

原作を全く読んでいないので余計のこと、世界観を一気に学べるかなと思い、1日1回の上映で終映間近な感じの中、新宿の平日の真夜中にもやっている映画館の終電時間枠で観て来ました。

物語の中盤、大泉洋演じる錬金術師が、いきなり、魂が鎧に入っているだけのアルに「催眠術を掛けてみたい」と言いだして、椅子から落ちそうなぐらいに驚愕しました。

或る種の退行催眠のようなことかもしれませんし、若しくは、ユングの言う集合的無意識へアクセスする深催眠のような何かかもしれません。設定上、「真理の扉」と言う精神世界のような中の或る場所に行って、禁忌とされている錬成術を知り得るようにしたと言うことのようでしたので、スピリチュアル系の催眠誘導だったのであろうと思います。

無意識の中にある、元始からの総ての事象を記録しているとされるアカシック・レコードにアクセスする催眠というものも、スピリチュアル系の催眠の一種として存在し、催眠状態になって予言を行なう「眠れる予言者」として有名なエドガー・ケイシーについての書籍などでも言及されていることがあります。原理的にはそのようなものかと思われます。

劇中、催眠状態になると、自律神経もないはずなのに「体があったかくなってきたような…」などとアルは言います。義足や義手でも痛みなどを感じる現象に近い形で催眠の効果が表れています。

馬や鳥に催眠を掛ける動物催眠と言う分野はありますが、魂が入っただけのがらんどうの鎧に催眠を掛ける無生物催眠と言う構図はなかなか見られるものではありません。劇中のアルの場合、魂だけとは言え、がらんどうの鎧のどこに発声装置や集音マイクがあるのか分かりませんが会話ができる相手ですので、無生物催眠と言うよりも、対無実体催眠とでも言うべきなのかもしれません。

人間相手の催眠技術だけでも、学ぶものが多々あり、手一杯感がありますが、人間以外を対象とする催眠技術の分野(取り急ぎ、動物催眠の分野だと思いますが)も少々勉強してみようかなと思いたちました。