道具や物体が自分の一部になる暗示

練習や訓練を積み重ねると、道具がまるで自分の一部のように扱えるようになることがあります。たとえば、バスケットボールの選手は練習を重ねた状態になると、「ボールが手に吸い付くようになる」感覚が湧くと言います。実際にはボールの扱いに習熟して不用意に落としたりしないようになるということだとは理解できますが、感覚的にそのように感じられるものであるようです。

バイクのレーサーは自分の愛用のマシンに乗ると、体の一部のように操ることができるようになり、実際にその部分を見ていないにもかかわらず、(たとえば、コースの端から10㎝でコーナリングのように)思ったコースでカーブを切ったりすることができるようになると言います。

乗馬の場合は馬は生き物で騎手との交流が深まれば騎手と馬が人馬一体の一心同体になるというのは理解しやすいです。バイクは機械ですから、この表現が適切か悩み深いですが、バイクがライダーの体とつながって、一心同体になった状態と呼べるかもしれません。

バスケットボールやバイクは人間の体につながった感じのイメージがしやすい、物理的なつながり方やサイズ感の物体と言えますが、自動車などの大型の機械でも同様のことは発生します。

テレビ番組やネット動画でもよく紹介されている神業のような自動車の車庫入れ技術も、ミラーで見えない死角まで十二分に把握できなくては成立しないはずです。さらにフォークリフト操作技術の全国大会の映像などを見ると、運転者が自分からは見えない爪の先などをミリ単位で調整するような操作が可能であることが分かります。

こうしたことができるようになる背景に反復練習が存在しているは論を待ちません。ただ、この反復練習の際に人間が、没入で発生する変性意識状態であることはあまり認識されていません。つまり偶発的で浅いながらも自己催眠をかけているのと同じなのです。また、結果的に道具である物体と無意識で「同調している」状態を作ろうとしていると考えることもできます。

扱いの技術が習得される一定期間はもちろん必要ですが、こうした反復練習をしている際に、「■■は自分のからだ。」とか「■■は自分の思い通りに動く。」といった暗示を伴いつつ行なえば、練習時間量が大きく減少する可能性もあると考えられます。

☆参考書籍『伝説の催眠術師、吉田かずお先生からならったこと: 二年目の催眠感想文