郷土の珍しい昇開橋を見つめる浜口熊嶽の銅像

今月後半に予てより行って実物を見てみたいと思っていた浜口熊嶽の銅像を見に、親しい三重県出身の人物の帰郷についていく形で、三重県北牟婁(きたむろ)郡紀北町を訪ねてきました。このブログの『故郷に銅像が建てられた催眠術師』で紹介した銅像です。

人口1万余りのこの町はユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」(熊野古道)の一端に位置しており、10代の浜口熊嶽が修験道の修行を3年行なった那智山もこの中に含まれています。

町には珍しい昇開橋の江の浦橋があります。昇開橋は橋の両岸付近に鉄塔を設け、橋桁全体を上昇させて船を通過させる橋のことです。地元では「昇開橋」ではなく「昇降橋」と表現されていることが多いようです。

町に4つあるJR駅のうち最も北にある紀伊長島駅を降り、駅員に尋ねても、タクシー廃止後に町に三台走る公共ライドシェアの車両の運転手に尋ねても、浜口熊嶽の銅像について知っている人はいませんでした。住所を示して乗せて行ってもらうと、浜口熊嶽の銅像は江の浦橋のたもとにある、滑り台とイルカのスプリング遊具のある小さな公園に立っていました。

生前浜口熊嶽は欧米周遊旅行の際に技を披露して莫大な懸賞金を得たとも言われており、豪邸を建て、郷土にも莫大な金額の寄付寄贈をしたと言われています。「その足跡は全国各地はもとより、東アジア、欧米にまで及んでいる。長島が生んだ第一級の人物である」と銅像の脇の覆屋(おおいや)付き説明板に書かれています。銅像が見つめる江の浦橋は「昭和初期から存在し、現在の橋は平成5年7月に架け替えられた三代目。」をそのウェブページに書かれていますので、初代のものの架橋には浜口熊嶽が関与しているのかもしれません。

町の紀伊長島郷土資料室には、浜口熊嶽の史料も多く展示されているとのことでしたが、今回は観に行くことができませんでした。銅像に礼をし、写真を何枚も撮って帰ってきました。浜口熊嶽を催眠術師として見る時、偉大な先立ちの銅像を間近で見ることができて良かったです。

☆参考書籍:『霊術家の黄金時代
☆参考書籍:『熊嶽術真髄