故郷に銅像が建てられた催眠術師

「わしはなんも悪いことしとらん。不思議の術で病気が治るのは事実だし、貧乏人からは金をもらわん。なんでお上はわしにめくじらをたてるんじゃろうか」。

明治中期から大正の時代に官憲から弾圧に抗して、当時は気合術や霊術と呼ばれた催眠治療を施術し続けた浜口熊嶽の言葉です。名前は朝鮮半島にまで知れ渡り、国内では、大阪、神戸、福山、東京と行く先々で弾圧を受け、警察への出頭命令や拘留を受けること700回以上、法廷に立つこと40回以上と記録されています。

彼は自分の気合術の実演・実地検分に積極的に応じ、明治36年には裁判所判事のリューマチによる肩痛を実地検分の場で取り除き、無罪を勝ち取るなど、ほとんど全部の裁判で無罪を勝ち取りました。

少年時代に那智山で修行の後、京都三宝院で密教僧生活。明治27年。弱冠17歳には、「エイ、エイ、パァ、パァ」と掛け声で知られる気合術で始めました。触れることなく黒子取りや歯の抜き取りを行ない、さらに、各種疼痛の除去、リューマチ後遺症の治療を行なったと言われています。これはメスメリズム的な施術の一種です。

豪放磊落な性格で多数の愛人を囲い、故郷の三重の紀伊長島には豪邸を建て、全国行脚の合間に毎晩どんちゃん騒ぎをして過ごしたと言います。故郷には数々の寄付・寄贈を重ね、護岸工事や道路拡張、天災時の精米配布、消防団結成など、幾多の業績が記録として残っています。彼の生家の近くには、「浜口熊嶽翁を顕彰する会」によって銅像が建立されています。

催眠が特定の形に押し込められていない時代。その効果と実利によって広く社会に受け入れられていた時代。かつての催眠大国、日本の姿を考えるとき、現代日本で催眠術と呼ばれる技術と世界観の矮小さに思い至らされるのです。

※参考書籍:『霊術家の黄金時代』井村宏次著