明治後期から第二次大戦前夜まで続いた日本における催眠技術の隆盛の歴史は、そのまま政府による催眠弾圧の歴史でもありました。軍における催眠技術の活用が研究され実践されていたのは間違いないので、政府が催眠技術全般を取り締まるべきものとしたというよりも、催眠技術を官製の特別な技術に仕立て上げるというのが、本来の目的であったように考えられます。
催眠術を取り締まる法律は当時何度か発布されています。その法律により逮捕者が出るようなケースももちろん起きていますが、霊術などと名を変えるなどの民間の対応も相俟って、催眠技術の隆盛と社会への浸透が終焉に向かうことはありませんでした。吉田先生はこのような催眠技術の法的取締を「絶対にまともな効果を生むわけがない」と生前よく仰っていました。
「そう言うことができると思っているのは、催眠が何であるのか全く分かっていない証拠。催眠は催眠術師が掛けたりするだけのものじゃない。催眠現象はいくらでも起こる。最たる例が恋愛だ。相手のことが好きで好きで居ても立っても居られないような心情は普通に考えれば異常そのものでも、誰しもが経験し、俺のやっている歌謡とか、文学とか色々な文化の主要なテーマになっている。色恋沙汰で死を選んだり命を奪ったりする話も、全然珍しくない。こんな異常な心理状況を催眠以外で説明することができるか。」
そして吉田先生は「催眠として起きる現象を取り締まるのなら、恋愛の気持ちの昂ぶりも全部取り締まることになる。そんなことができる訳がない」と断言するのでした。
吉田先生の催眠技術の考え方「吉田式催眠観」に拠れば、催眠は人間の無意識が暗示によって書き換えられることで起きる人間の変化全般を指す「現象」です。確かに思い至る人は少ないでしょうが、恋愛の陶酔において、人間は非常識な価値観で非常識な行動を簡単にとってしまいます。
意中の人を催眠技術によってモノにするというのは、非常に人気の高い催眠セミナーなどのテーマであったりしますが、恋愛感情そのものが催眠現象であるという考え方は、吉田先生の独自の催眠観の賜物なのです。
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