催眠術の偉大な先駆者、フランツ・アントン・メスメルは、1734年にコンスタンツの大司教ロナルド・ゴロンの狩猟頭であるヤーコブ・メスメルの子供として、現ドイツ領のイツナンクと言う村に生まれました。
大司教に才能を認められ、教育を受けさせてもらうことになったメスメルは、デッティンゲンのイエズス会で数学・物理学・哲学を学んで博士号を貰いました。その後、インゴールシュタット大学で神学を学び本課程を修了し、さらに、オーストリア・ハプスブルク家の本拠地として栄華を極めたウィーンのウィーン大学に入学し、法学と医学で博士号を取得して、医師として開業します。
そんな当時の学問を広く身につけた学者でもあるメスメルは、自分の催眠治療が催眠効果によるものとは信じようとしませんでした。彼は生涯かけてそれが医学として認められることを望みましたが、結局叶いませんでした。
メスメルは、ニュートンと交流のあった英国医師リチャード・ミードの著作『惑星影響力理論』の中の、惑星間の引力が潮の干満を引き起こすように、惑星間の引力が人体にも影響を及ぼしていると言う説に関心を寄せ、医学博士号の学位論文のテーマにもしました。17世紀には大流行したペストでさえ月からの力による影響で起こるのだという学説があったぐらいに、当時進みつつあった天体の研究結果が、各種の疾病の原因として考えられていた時代のことでした。
この時、メスメルは、その後ヨーロッパ全土を席巻する有名な“動物磁気”と言う言葉を使っていず、惑星の重力の影響を考えたことから、“動物重力”と自分の研究テーマを呼称していました。
最近のコメント