広がる無意識の世界

「「私」は、川の下流で、流れ込んでくる情報を見ている。そして注目すべき特徴的な流れに注目し、そのすべてを自分がやったことであるかのように錯覚している、というわけだ。川の途中がどうなっているのか、細かいことは知ら ないが、何が原因で何が起こったのか、という大雑把な物語の内容は把握している。細かなことは、よきにはからえ、だ」。

前野隆司氏が2004年に書いた『脳はなぜ「心」を作ったのか』の一節です。この文中の「私」は“意識”です。川上で川に多種多様・種々雑多な情報を流し込んでいる働きすべてが“無意識”です。つまり、人間は意識的な決定などしない。すべては決定したと思っているだけのことで、実際には無意識が勝手に決めていると言うのが、前野氏による受動意識仮説です。MRIなどの技術の進歩で、脳に関する各種実験が行われ、この説は事実になりつつあります。

一方、現在、多くの催眠術師が言う「“意識”を何かに集中させておいて、“無意識”へ暗示を書き込む」催眠術の基本的ステップは、“意識”と“無意識”を対立項のように扱う前提です。しかし、そのような構造は、1900年前後に概念として作られたものです。

実質的に“意識”など“無意識”に追従する補助機能でしかないと分かった今、“無意識”へのアクセス方法も、“無意識”に直接命令を書き込める催眠技術の意義も、大きく変わっていくべきなのだと思えます。