学校教育に催眠を採用する ~村上辰午郎の取り組み~

明治後期から昭和初期にかけて、倫理学・教育学を専門とする学者として、東京帝国大学農科大学、東京高等蚕糸学校、東京農科大学などで教鞭をとっていた村上辰午郎は、全国各地の農業系学校で、催眠の実験を重ねていたことで有名です。

取り締まりの対象とさえなっていた「催眠術」と区別するために「村上式注意術」と言う名称で、精神集中・精神統一の催眠技法を教えていたと言われています。明治30年代から教育界は催眠術に注目しており、「小学教師先生たちが催眠術に浮かされて」大金を稼いでいるなどの報道の記録さえ見つかります。

今から考えると、信じられない状況ですが、当時の日本が「催眠大国」であって、社会の隅々にまで、催眠の考え方が浸透していたことが窺われます。

その村上辰午郎も、当時の霊術家カタログにある彼の紹介文に、「こう同君が地方有識階級に催眠術の真価を注入して廻ると、一方にデモ霊術家が夫れを傷けて歩く…」と書かれている通り、昭和初期になると、60歳を過ぎた彼は「霊術」の如何わしさをもっぱら糾弾するように変質して行き、晩年を過ごすことになっています。

彼の催眠術の教育現場への普及そのものは潰えたかのように見えますが、戦後、多くの学者・医師・教師らの手によって、「学習意欲の向上」、「非行少年の指導」、「偏食の矯正」など幅広い教育テーマへの催眠技術の適用が研究されていることが、『教育催眠学』や『教育催眠とその技法』などの書籍を読むと分かるのです。

☆参考書籍:『教育催眠学
☆参考書籍:『教育催眠とその技法