自己催眠を多数の国内著名人に説いた中村天風

中村天風はウィキで見ると、まず「日本の思想家、実業家…」と紹介されていますが、思想家として活躍を始めるのは、40代に入ってからで、実業家として実績を上げたのは、その直前のほんの数年に過ぎません。

抜刀術や柔道を得意とし、英語にも堪能だった中村天風は、日露戦争当時、諜報員・工作員として満州で暗躍し、「人斬り天風」と恐れられていました。その後、当時の死病である肺結核を患い、その治療法を求めて海外を旅します。その帰途で偶然出会ったヨーガの聖人カリアッパ師についてインドで学び、肺結核をも完治させて日本初のヨーガ行者として帰国の途につきます。

その途上、孫文の辛亥革命を支援して財産を得ます。その財産で実業を始め、そして、思想家として自分で編み出した「心身統一法」を教え広め始めるのです。まさに波乱万丈と言う言葉でしか表せないような人生です。

中村天風の教えを紐解くと、その中には潜在意識への言及があり、「自己暗示法」と外部から暗示を受け容れる「他面暗示法」が提示され、「自己暗示法」はさらに手法別に三種類が挙げられています。「連想暗示法」は就寝直前に楽しく嬉しいことを考える手法で、「命令暗示法」は鏡に映った自分に積極的な命令を与える手法です。そして「断定暗示法」は朝目覚めたら暗示内容を声に出して言うという手法です。

中村天風は思考の原材料となるものを「観念要素」と呼んでいますが、「記憶の宝庫」である無意識から取り出される観念要素を「積極化」することで、積極的な人生が送れるとしています。この「積極化」の方法として、先述のような自己催眠の手法が述べられているのです。

中村天風を師と敬う人は政治家や実業家、スポーツ選手などを始め多数います。彼らがこぞって学んだ心身統一法の核の部分に催眠技術が存在したのです。