重視される教師の権威性

「被験者はある課題について、参加者の中で成績トップの友人か、平均的な成績の友人かのいずれかからサポートを受けた。その結果は、正当性の高い(成績のいい友人からの)アドバイスでは課題の成績が上がり、正当性の低い(平均的な成績の友人からの)アドバイスでは逆に成績が下がってしまった。自分と同程度の(無力な)相手からのアドバイスは、役に立たないのだ。
このことは教育が成立するには教師の権威が必須である理由を教えてくれる。生徒が教師を尊敬してるか、すくなくともその科目については自分より高い能力を持っていると認めているのでない限り、あらゆる言葉は『攻撃』と受け止められてしまうのだ。」

橘玲の新作『バカと無知』にある一節です。表現が簡潔過ぎてよく分かりませんが、この「サポート」というのは、文章によると単なる「アドバイス」のようで、成績トップの友人もそうではない友人も、実験では実質的に同じアドバイスをしたという前提がないと、実験結果が意味を成さないように感じます。

また、ここで言う「攻撃」は、「マウントをとられること」を指しており、マウントを取れば「自己肯定感が高まり」、マウントを取られると「脳内に大音量で警報が鳴り響く」と説明されています。マウントを取られることは脳内においては許しがたく耐えがたいことと位置付けられているのです。

小中学校の現場で見ていると、教師がハラスメントのリスクを避けるために、友達のようにふるまっているケースをよく見ます。しかし、この実験結果をそのまま当てはめるなら、友達のような先生が教える生徒の成績は伸びないことになります。

催眠施術の方法論を最近レクチャーで教えることがありますが、「ラポール形成の第一段階は『権威性』と『類似性(=親近感を抱かせる要因)』のやや相反する二つの掛け算が大事」という風に説明しています。催眠施術をより効果の高いものにするためにも、権威性は重要であるように、教育という脳内の新たな処理パターンを作る作業にも権威性が重要なのでしょう。

☆参考書籍:『バカと無知