映画『スパゲティコード・ラブ』の承認を渇望する13人の若者像から、全5回のシリーズ記事で、承認欲求に向き合う人生の選択肢を考えてみます。最初に考えられるのが、そのままにしておくということです。つまり、渇望に絆されまくり、渇望に人生を振り回され続ける人生と言うことです。辛いことは間違いありませんし、場合によっては、自己肯定感が酷く低くなったり、厭世観に苛まれるようなことになるかもしれませんが、そのような自分をそのままに生きることも勿論できます。
他人に認めてもらおうとして、どれほど認めてもらうことそのものを目的に努力しても大抵実を結びません。認めてもらうことは結果であって目的にはなりにくいからです。逆説的な響きですが、「認めてもらう」には「認めてもらう」ことを忘れて利他的に努力することで、勝手に(つまり結果的に)「認められる」ようになります。そのようになってしまう理由は、勢古浩爾の名著『自分様と馬の骨 なぜ認められたいか?』のタイトルそのものです。つまり、自分自身には自分は「自分様」のように尊いものなのに、他人から見た自分はただの「馬の骨」に過ぎないということです。
この現実があるのに、ただそのままの自分が他人からの承認を求めれば、思うままに承認が得られる訳はありませんから、滅茶苦茶に傷つくことになります。それをも厭わず他人を求め続けることになります。TVシリーズのオリジナル・エヴァで有名になった所謂「ヤマアラシのジレンマ」状態で、「私を認めてよ」と相手に迫りながら、お互いに無数の針で相手を血塗れにしながら抱き合い愛し合うしかない状態です。それに疲れてしまった状態が先述の自己肯定感の低下や厭世観に支配されることにつながると考えられます。
「セフレのまま関係が続いている男性を本命のカレシに心変わりさせたい」という相談を受けたことがありますが、本人の「愛されたい」気持ちをそのままに、相手に自分の存在価値を認めさせて自分を求めさせるようにするなら、相手の男性に催眠をかける必要があります。その当たり前の事実を説明すると、彼女はうな垂れていました。この女性の場合、セフレとしてだけ承認されていることに満足できなくなった所から、ヤマアラシのジレンマが始まったのです。
☆参考書籍:『自分様と馬の骨: なぜ認められたいか?』
【シリーズ・リンク】
●承認欲求と向き合う(0) マズローの欲求五段階説から考えてみる承認欲求
●承認欲求と向き合う(1) 承認欲求をそのまま満たす。
●承認欲求と向き合う(2) 承認欲求を間接的に満たす。
●承認欲求と向き合う(3) 欲求の段階を下げて承認欲求を忘れる。
●承認欲求と向き合う(4) 欲求の段階を上げて承認欲求を超える。
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