中小企業診断士の仕事の関係で、社歌の意義がたまに話題になることがあります。国歌や校歌、社歌など特定集団や特定団体で歌をつくり、皆でそれを歌う習慣の歴史はかなり古く、言語が成立するのと殆ど同時代という説もあるようです。考えてみると、映画で観る昔の軍隊の進軍時にも部隊全体で歌っている場面がありますし、たとえば田楽などの日本の古典芸能のルーツは水田で村の人々が集団で農作業をする際に歌いつつ拍子取りをするためのものでした。
ジョナサン・ハイト著の『しあわせ仮説―古代の知恵と現代科学の知恵』にはこんな一節があります。
「返報性は、関係性における万能薬だ。正しく使えば、社会的な絆を強め、引き伸ばし、活性化してくれる。それがとてもよく効く理由の一つは、象が生来の模倣者であるということである。(中略)もし、相手が足をとんとんと踏み鳴らすと、あなたも足踏みをする傾向が高まる。しかし、単に自分の好きな人が模倣をするだけではない。私たちは自分の模倣をする人を好む。人は軽く模倣されると、(中略)より親切で愛想がよくなる。客の模倣をするウェイトレスは、より多くのチップをもらう。
模倣は、ある種の社会的な接着剤であり、「私たちは一つ」と表現する方法である。模倣による一体化の快楽は、人が一つの事を同時に行うラインダンスや応援団、ある種の宗教儀式などの同期的活動において特に明確だ。(中略)愛と同様、返報性は私たちを他者と再び結合させる」
文中に出てくる「象」は人間の無意識を喩えたものです。このように無意識は模倣することに「快」を感じ、集団で模倣し合うことに快楽を感じるようにできていることが分かります。ハイトが言う「同期的活動」において、集団の構成員は同じものを見、同じものを聞き、同じく動き、同じ地面の反発や空気の抵抗を受け、同じ息遣いをします。これはバイオラポールそのものです。
集団にバイオラポールが発生し、個々の自我が溶け合って一体化している所に、社歌の歌詞が暗示として構成員の無意識に書き込まれる。実は社歌斉唱は会社が行なえる最も有効な集団催眠手法であるのかもしれません。
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