“道(どう)”として学ぶ催眠の技術

吉田かずお先生の催眠の考え方は独自性が非常に高いので「吉田式催眠観」と私は読んでいますが、吉田先生の催眠技術の教え方も独特で、私はそれを「道(どう)として催眠を教える」やり方と表現することが多いです。(吉田先生にそのような自覚がある訳ではなく、当然そのような呼称を自分から使うことはありません。)

この「道」とは、剣道や柔道のような武道や、華道や茶道などの芸事の名称にも使われている「道」です。能や歌舞伎、浄瑠璃、落語などの伝統文化など全般のことを一括りにして「芸道」と呼ぶこともあります。師匠について弟子として修行することで技術を身につける将棋や囲碁の世界なども勿論そうですし、大工や植木職人など、職人的技術を徒弟制で教えるのも「道」の教え方です。実際には教え方が「道」的なのではなく、その技術が持つ世界観そのものがすべて「道」的なのだと思います。

「道」として習う形の特徴はいくつかあります。

1) 技術習得の完成形がないという価値観
段や級があったり、「名人」などの呼称があったりしますが、どれだけうまくなっても、さらにその上を目指して修行が続くという考え方です。

2) 緻密な技術を無意識によって学習する学びの方法論
多くの「道」には明確なマニュアルのようなものがありません。勿論、何かの教本のようなものが存在することはありますが、基本的に反復練習で「型」や「美観」をカラダに覚えさせることが重視されます。

3) 師匠からは技術そのものを習うのではなく学び方を習う学習観
師匠は発展途上の先輩に過ぎません。師匠からは技術そのものを学び取るのではなく、学び方の指導を受けるという考え方です。ですから、師匠の指導をいくら受けても、それだけでは全く上達しません。

催眠の技術を私もこのような「道」の考え方で学び、技術を徐々に、そして継続的に磨いていきたいと考えていますし、催眠の技術についてお尋ねいただいた方には、このような考え方を説明しています。

☆参考書籍:『かかる! かわる! わかる! 吉田式「実用催眠術」勉強法: 催眠三年目の感想文