19世紀後半当時の最先端の催眠技術を学ぶフランス留学を終えてオーストリアに帰国したフロイトは、開業医として当時流行していたヒステリーの催眠療法を実践することになりました。そして治療経験を通して治療法に独自の工夫を重ねました。
当初はシャルコーの方法論をベースとして、患者を催眠誘導し直接的な暗示を与える「暗示療法」を用いていましたが、リエボーの「催眠通利法」に移行することになります。「催眠通利法」は、催眠誘導は行ないますが、暗示を与えるのではなく、過去のトラウマを語らせる方法論です。原理的には現在退行催眠と呼ばれる方法論に近く、フロイトは現在のことだけではなく幼児期の記憶まで語らせる必要を感じたために、方法論を変更したと言われています。また「暗示療法」では暗示を教示的に与える対症療法にしかならなかったことも主要因であったと考えられます。
さらに催眠誘導そのものにも懐疑的になり、ベルネームの「前額通利法」を採用します。「前額通利法」は、催眠誘導を行なわず、患者の額に軽く手を当て過去の記憶を自分で引き出すよう指示して、トラウマ的な記憶や感情を発散させる療法です。
「前額通利法」の採用の背景には、患者の催眠状態が一様に起こせなかったことがあると言われています。それはフロイトの発話が不明瞭で催眠技術が下手だったからという説もあります。臨床医ではなく研究者としての想いが強かったフロイトには、再現性が低い彼の催眠技術は当てにならないものだったのかもしれません。
研究者としてのフロイトは、最終的に患者に対する指示・教示を一切行わないようになって行きます。フロイトは何も口を挟まず、患者に心に思い浮かぶイメージを自由に話し続けさせるだけで、隠されたトラウマやその手掛かりを知ることができると考え、患者の額に手を当てることさえなくなったのです。この手法は「自由連想法」と呼ばれています。
こうしてフロイトは催眠技術から離れて、患者が自由に語るイメージの中から無意識の構造を探る精神分析の道を進んでいったのでした。
ただ、このようにしてフロイトが辿り着いた「自由連想法」という方法論も、現在の催眠の考え方からすると、患者は変性意識状態になっていると考えられ、十分催眠施術の範囲に入っているようには感じられます。そのように見る時、フロイトの精神分析の手段は最後まで催眠施術の範囲の中にあり、19世紀後半の教条的な催眠施術のありかたから決別したに過ぎなかったと見ることができるのです。
☆参考書籍(一部):『ヒプノセラピー 催眠療法』
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